最大の敵は、諦めだ。

タングスの雑記です。ブログ名は2011年のJRAのJCのCMから拝借しました。

【個人的名曲の手帳】『錯覚する予兆(または同性愛)』『マーベットのお茶』

 この記事のタイトルだけを見て、誰の作曲で、どこで使われた楽曲なのかを当てられた方は恐らく非常に珍しいのではないかと思う。タイトルに使わせて頂いたのはともにおなじ作曲家が作曲し、あるテレビアニメのBGMとして用いられた二曲である。

 

 さっそく1曲目から紹介していこう。

 

 今回紹介するのは、

  曲名:『錯覚する予兆(または同性愛)』

  作曲者:千住明

  収録出典:機動戦士Vガンダム オリジナルサウンドトラック DISC2

 

 そう。今回は機動戦士Vガンダム 〈1993-1994放送〉の数ある中でも個人的に印象的な曲を取り上げてみました。作曲は千住明先生です。

 

 

 ストーリーには触れたくないのでぼかしますが、巨大な強力な敵と対峙・対決している感じが滲み出ているのではなかろうかと思います。

 

 

 

 

 他にも紹介したいVガンダムサウンドトラック楽曲は沢山あります。

例えば、

 曲名:『マーベットのお茶』

 作曲者:千住明

 収録出典:機動戦士Vガンダム オリジナルサウンドトラックDISC3

などもオススメどころ。

 

 

 

 先ほどとは打って変わって、リラックスするような優しいメロディでしょう。ヴァイオリンがいい味を出してるんですよね。

 

 どちらもアニメ自体を見ていた人の方が「良い」と感じる曲かもしれませんが。試しに二曲を紹介させて頂きました。

 

 VガンダムOSTは、いいぞ。

 

 ではまた。

天国へのファンファーレ

 今日の中央競馬は、阪神では京都大章典GⅡ 京都競馬場工事中のため阪神競馬場での開催)、府中では毎日王冠(GⅡ)と豪華なダブルGⅡデーであった。

 

 2021年10月10日、東京競馬場第11レース 毎日王冠(GⅡ)

 青空の下行われた毎日王冠で、JRAから亡くなられたすぎやまこういち先生に対して、粋な計らいがあった。

 

 

 

 すぎやまこういち先生作曲の東京・中山のGⅠ用の入場曲、GⅠファンファーレをGⅡ毎日王冠に用いたのだ。

 

 まさに、すぎやま先生への敬意をこめた、天国に向けてのファンファーレ。

 

 見ていて私は目頭が熱くなりました。

 

 すぎやま先生、安らかにお休みください。

すぎやまこういち先生の訃報をようやく受け止めて

 大作曲家すぎやまこういち先生(90)が亡くなられた事は恐らく多くの方がご存知だろう。

 

 私はすぎやま先生の訃報を受け入れるまで、1日ほどを要した。これは私にとっては親族の訃報以外では初めての反応だった。

 

 すぎやまこういち先生は、私にとって作曲・音楽の全般に於いて神様だった。

 

 すぎやま先生の訃報は私にとってもダメージが大きく、非常につらかった。先生のご逝去を悼もうにも、どうしてもそれを受け入れたくないような心情が私の中にあったのだ。

 

 世に言う「天才作曲家」というのはすぎやまこういち先生の方な方の事をいうのだろう。疑う方は先生の作品たちを聞いて見てほしい。

 

 すぎやまこういち先生が亡くなった、そう私が認識した時、すぎやまこういち作曲の名曲が脳裏を走った。ドラゴンクエスト天空の花嫁から『哀愁物語』である。



 『哀愁物語』はドラゴンクエストⅤで、パパスの手紙を読むシーン等に使われている、ゲームをプレイしていれば、目頭が熱くなってしまう曲である。

 

 そして、すぎやまこういち先生のこれまでの音楽活動、ドラゴンクエストⅫの作曲が遺作であるということから、この曲が浮かぶのである。

 

 『この道わが旅

 

 『この道わが旅』は皆さまご存知の通り、ドラゴンクエストⅡのエンディングテーマ。アニメ「ダイの大冒険」でもEDとして使われたようです。

 この美しく、勇敢な音色。これもすぎやまこういち先生にしか出せない音であると、私は感じています。

 

 挙げればキリがないのです。

 

 すぎやまこういち先生、沢山の名曲を、生涯にわたって作り続けた姿はとても私程度の凡人が真似できるようなものではない神業でした。

 すぎやま先生が亡くなったと聞き、非常に残念でたまりません。

 

 しかし、私の胸の中には、コンサートの度に先生に直々にして頂いた握手(とても暖かくてずっしりとした手であったと記憶しています)や、金管五重奏のコンサートでは我々聴衆と一緒の席に座られて、音楽を楽しまれていた姿(しかも私の目の前で)はあまりにも思い出深く、きっと忘れることがないでしょう。

 

 すぎやま先生のあまりにも早すぎる訃報は非常に驚きましたし、とてもとても悲しいのですが、どうぞ、天国で安らかにお眠りください。

 

 これまで、素晴らしい音楽をありがとうございました。

 

 ドラゴンクエストⅫの音楽が実質的な遺作であるとお聞きしました。すぎやま音楽をまだ楽しめると思うと、私は期待でいっぱいです。

 

 すぎやま先生、ありがとうございました。どうぞ、安らかにお休みください。

 

 私、タングスにとって、間違いなく、すぎやまこういち先生は神というべき存在でした。そんな神様とコンサート時に3度も握手をして頂いた上、金管五重奏のコンサートを一緒に楽しむことが出来た。これらは私にとっては一生の思い出です。

 

 ありがとうございました。

JRAのCM「夢の第11レース」について

 競馬中継をテレビで見ていると、時々流れるのが、「夢の第11レース」のCMである。

 

 

 

 このCMで取り上げられた名馬たちを表にしてまとめ、当時の主戦ジョッキーや印象的騎乗をしたジョッキーをもとに、想定されるジョッキーをまとめたのが下図である。なお、「二つ名」については複数ある場合は筆者の独断で選んだことをここに付け加えたい。

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JRA 夢の第11レース

 この「東京競馬場・芝左2400m」という東京優駿日本ダービー(GⅠ)やジャパンカップ(GⅠ)の距離である。実際のダービー馬も9頭選ばれている。

 彼ら彼女らの最年長世代は13番のミスターシービー(1983三冠馬)で、逆に最も若いのがオルフェーヴル(2011三冠馬)である。

 で、実はどうやらこのCM、初めて流れたのは遅くて2015年のようなのである。つまり、随分長く使い続けているCMであるといえるだろう。

 オルフェーヴル以降にもたくさんの名馬はいるし、ミスターシービー以前にもたくさんの名馬がいた。そして、ミスターシービーオルフェーヴルの間に大活躍したが、この18頭に選ばれていない名馬も数多くいる。

 

 このレースがもし、「京都・芝・外・3200m」(春天の条件)だったら。このレースがもし、「中山・芝1200m」(スプリンターズステークスの条件)だったら。このレースが、「東京・左・ダート1600m」(フェブラリーステークスの条件)だったら。このレースがもし「東京・左・芝1600m」(安田記念の条件)だったら……などと、さまざまな”夢の第11レース”が組めそうである。

 

 

 こういう楽しみ方が出来るのも、競馬の面白さかもしれない。

【個人的名曲の手帳】proof/angela(2004)【蒼穹のファフナー第15話限定ED】

 2004年から既に17年も経つんですね…。

 古く唐代の詩人李白も、

光陰者百代之過客(訳:光陰(=月日)は行きかう旅人である)

という名文を遺していますが、ひしひしとこれを感じるあたり、私も年を取ったということなのでしょう。

 

 今回は2004年に発表されたangelaの『proof』を名曲にあげたいと思います。アニメ『蒼穹のファフナー』(1期)の第15話の特殊エンディングに使われた曲なのですが、発表当時はシングル『fly me to the sky』の通常版のB面にしか収録されておらず、当時はどのCDに入っているのか相当に探した記憶があります。現在ではベストアルバム等にも収録されていますので、入手難易度は格段に易しくなりました。

 

 

泣かせる歌詞のバラードになっていますが、サビ以降は結構盛り上がる楽曲です。アコースティック編成のオケの中で僕の一押しはサビに入ってくるホルンの音色。このホルンのメロディが自分の感覚とぴったんこなんですよ。

 

 よく聴くし、カラオケなんかに行った際もよく歌う一曲です。

勉強に於ける「ゴール」の設定

 ふとyoutubeを見ていると、「おすすめの勉強法」に関する話題がいくつかオススメに上がっていたので見てみた。すると、共通項として「過去問に早めに手を付け、その試験に於いてどの程度の問題が問われるのかを知ってから勉強するほうが効率が良い」という点が見出された。

 これは確かに一理ある。試験に合格する、試験でよい点数を取るというものを勉強のゴールとして設定するのであれば、この方法は非常にスマートである。問われる分野を中心に、問われる深度に合わせて勉強していく。実際のところ、人生は有限であるから、現代に於いてですら膨大な量の人類の叡智をすべて理解し、応用することなど出来ようもないのであるから、これが現実的な解決法なのだろう。

 

 ちなみに私は教科書や書籍、論文等々を参照する、「調べ学習中心型」なのだが、確かに試験の点数を費用対効果的に考えるのであれば、このやり方は先のやり方に劣る。但し、この学習法は理解度を深めやすいメリットもある。現在何が分かっていて、何が分かっていないのか、それを解決する方法を模索しながら日々を送る事も可能だ。

 

 がっちりと理解し研究や応用したいものなのか、そうでないのかで確かに自分も多少の勉強スタイルの違いはあるのだが、「過去問から」というのはこれまでに試したことのない方法だった。

 

 これから勉強することのゴールをどこに持ってくるのか。実はこれが最も肝要であろうと思う。

リアルウマ娘、だなあ。

 2021.9.4、土曜日の札幌5Rで、サイゲームスの藤田社長の馬「ドーブネ」が武豊鞍上でデビューした。

 本馬、ドーブネ(2歳牡馬)は、ディープインパクト最終年度産駒であり、藤田社長がセリで約五億円で落とした馬である。

(2021.9.5訂正。最終年度は誤りでした。最終産駒は2020年生まれの子が6頭いるそうです。ディープが亡くなったのが2019年だったのですが、最後まで頑張って種付けてたんですね。)

 


 鞍上は武豊武幸四郎厩舎の管理馬で、兄弟での来年のクラシック挑戦が見えてきただろうか。外から一気の末脚。強い勝ち方だった。

 

 藤田氏にとってはまさに「リアルウマ娘」。鞍上はレジェンド武豊。凄く豪華だ。

 

 本日、日曜日は豊さんは小倉2歳ステークス(GⅢ)に参戦し、こちらも藤田社長の所有馬デュガに騎乗予定。こちらもどうなるか、目が離せないところだ。

 

 

【個人的名曲の手帳シリーズ② 90年代の名曲】meet again / Laputa

 昨日紹介した楽曲とは全くテイストの変わる、ロックナンバーについて今日は書きたいと思う。

 今回紹介したい曲は『meet again』。歌っていたバンドはlaputaであった。ディスコグラフィーを参照したところ、1997年11月12日laputaのメジャー3rdシングルとして発売されていた。

 私が本楽曲に初めてであったのは、これが当時放送されていたアニメ、『金田一少年の事件簿』のオープニング主題歌として流れた時であったように記憶している。

 それから20年以上経って、私の頭のどこかにこびりついていたイントロやメロディーの楽曲を探し、それがこの曲だと分かった時は少々爽快感を覚えたのを覚えている。それだけ、このイントロやメロディは印象的だったのである。

 

 

 

 90年代の日本の音楽シーンは、良くも悪くも多くの音楽が「小室哲哉色」を帯びていたというのが私の持論であるのだが、本曲はそういった「世の中の流れには背いて」独自の音楽を貫いた感があり、個人的に非常に好感がもてる。

 

 調べてみると、このlaputaは名古屋を中心として活躍していたヴィジュアル系ロックバンドであったそう。90年代だろうが、サビは王道の四つ打ち。主旋律はメロディアスだし、ロックのビートも心地よく、適切なキーボードの音響効果がポイントで印象を決めていく。私は名曲だと思う。

 

 

 

 

 念のため補足しておくが、私は小室哲哉の音楽が嫌いではない。というか、むしろ好きな方だ。あの天才的なソングライターの曲も近々に取り上げたくなるような気がする。・・・あくまで気がするだけだがw。

【個人的名曲の手帳シリーズ① 80年代の名曲】心の瞳/坂本九

 他人に伝えようとする事で、自分の思っている良さがより深まって再発見できることがある。そんな自分に対する名曲の再評価、自分にとっての名曲の紹介をこのシリーズではしていきたいと思う。

 

 第一回は、作詞:荒木とよひさ、作曲:三木たかし、歌唱:坂本九という昭和のヒットメーカーが勢ぞろいして作られた『心の瞳』である。

 正直なところ、平成生まれの私はこの曲を「合唱のために作られた合唱曲」であると認識していたので、故・坂本九氏の持ち歌であったことを知ったのは最近になっての事であった。それだけ、『心の瞳』という歌は心を震わせるようなエネルギーを持っている。

 

 

 二度目になるが、これが収録されたのは1985年8月12日のことだった。ご存知の方も多かろうが、この歌を最期に、坂本九氏は同日発生した日本航空123便墜落事故に乗客として巻き込まれ、亡くなられた。

 ちなみにこの歌は1985年5月に発売されたシングル『懐しきlove-song』のB面に収録されており、これが彼の作品となったため、『心の瞳』は坂本九氏の遺作でもある。

 

 30年余りの時が過ぎ、小中学校の合唱コンクールなどではどこのクラスかが、必ずと言っていいほど選ぶほどの名曲として認知されているように思う。

 

 しかし、それでも私は時折坂本氏の独特な歌声に時々は癒されたくなるのである。

 私が生まれる前の話で、しかも乗務員が死に物狂いでそうはさせじと奮闘する中で起こってしまった飛行機事故(日本航空123便墜落事故)。

 二度と、このような惨劇を目にしたくはないものだ。

追悼・ミンナノヒーロー

 青天の霹靂とは正にこの事だろう。

 

 こっそりと応援していた競走馬、ミンナノヒーローが7/20の盛岡競馬第8レース競走中に開放脱臼を発症し、残念ながら手の施しようがなく、予後不良(安楽死)となってしまった。

 

 Twitterでは呟いたが、当初、出先で中継映像を見られなかった私は、「競走中止」と書かれた成績を見て嫌な予感がした。ウマ娘から競馬ファンになった自分にとってそれは、沈黙の日曜日の悲劇にあったサイレンススズカ、淀に愛され淀に散ったライスシャワー、そういった馬の怪我が場合によっては馬の生命を脅かす事をつくづく知っているからである。

 「そうでなければいいな…」そう思い、公式の情報が出るのを待った。日が暮れた頃だったと思う。NARの公式Twitterがミンナノヒーローの訃報を伝えた。ショックで言葉が出なかった。ただ「ああ……」とうなだれるしか。

 

 母父にオグリキャップをもつミンナノヒーローは僕の見る限りオグリキャップの様に可愛らしくて、岩手競馬に移籍してから、岩手の水沢競馬場で走ったレースではその強さを見せていた。2021/07/19段階で4戦して3連勝。2着が1回。連対率100%という強さだったのだ。

 

 訃報を見て覚悟を決めた僕は、中継映像のVOD配信を見た。彼の最期の勇姿を見るために。

 2021/07/20、盛岡競馬場の第8レース。左回りダート1400m。後から確認すると単勝1.0倍の元返し。圧倒的な人気を集め、ゼッケン8番のミンナノヒーロー。彼は走った。

 先行したミンナノヒーロー、逃げた馬を第三コーナーで捉え、第四コーナーで先頭に立つ。しかし、そこで彼の左前脚が悲鳴をあげたのが中継映像だけで分かった。思わず叫んだ。録画だと分かっていても、予後不良となった事が分かっていても。

 それでも、大怪我を負い激痛に苦しみながら、彼はジョッキー、つまり相棒を振り落とす事なく、静かに減速した。ヒーローは優しく賢い馬だったのだろうとその所作で感じた。

 まだ4歳の牡馬。まだまだ夢を見せてくれるだろうと思った彼はもういなくなってしまった。あまりにも悲しくて切ない…。

 

 ミンナノヒーローは僕にとってもヒーローでした。どうぞ安らかにおやすみください。